将棋で身につく力って何だろう?
つわぶきです。
今回は将棋を指すことで養われる能力について考えてみたいと思います。
具体的に何があるでしょうか?
「集中力」「思考力」「礼儀正しさ」、いろいろ考えられると思います。
関西将棋会館にはメディアの取材班が密着。対局毎にコメント。両先生とも勝っても負けても重い一局だ、ニュースになるのだから。注目され将棋の面白さ、脳みそが汗かき体重が減る程考えるので思考を鍛えるのに最適な面、忍耐力がつく、礼儀が身につく等伝わるのは嬉しいけれど、ハラハラ老婆心
— 羽生理恵
運命は勇者に微笑む (@usaginoheso) 2017年6月12日
囲碁将棋をお勧めする理由
・頭を使う訓練になる。
・攻守のバランスの大切さが理解できる。
・戦略の立て方が理解できる【判断力が身につく】
・戦術の実行の仕方が理解できる【決断力が身につく】
・習慣によって技術が身につくのを肌で実感できる。
・勝負の厳しさを実感できる。等々
— seVen (@sevenislandsz1) 2017年4月1日
人によって見解に違いはあると思います。
私の意見を紹介したいと思います。
あきらめない力
将棋をやっていると、序・中盤で敗勢になり、悲観的な終盤を迎えることがたくさんあります。
そういったときには「いかに逆転を狙うか」頭の中で手をひねり出す必要があります。
将棋が強い人は、大抵が終盤型です。というか、終盤の腕力は強い人なら誰でも持っています。
「終盤がめっぽうダメで、でも序・中盤で圧勝して勝っています」なんて方は見たことありません。
結局、諦めの悪い人こそが強いので、善戦していても最後まで油断できません。
また、残念ながら負けてしまったあとも、「次こそは勝ってやる」という負けん気の精神を養うことができます。
かく言う私も、覚えたての小学生のころは「勝ちたい」とひたすら泣きながら指していました。
父親には数か月、負け続けました。
子供大会では半年間、負け続けました。
一般の大会では1年間、負け続けました。
今振り返ると「よく泣いていたな」というクスリと来るエピソードですが、私の打たれ強さ・諦めの悪さはこうした経験から自然に身についていました。
あきらめる力
先ほどと真逆のことを言っているようですが、同時に「あきらめる力」も身につくと確信しています。
諦めるというと、ネガティブなイメージを持つことが多いと思うのですが、私が言っているのは「見切りをつける」ということです。
たとえば、「両取り逃げるべからず」という格言があります。
これは、「両取りをかけられたときに、どちらかの駒を助けるのではなく、開き直って別の手を指しなさい」という意味です。
次にどちらか1つを取られてしまうのは確定ではあるけれど、相手に両方を取られることはない。
それならば取らせている間に他の手を間に合わせよう、という意味合いを含んでいます。
局所的に悪くなった場合、その場所に見切りをつけて別の場所に活路を見出す。
評価が揺れ動く一局の将棋においては、そのような技術も必要不可欠です。
以上に述べた「あきらめない」「あきらめる」を勝負の中で真剣に学んでいく姿勢こそが、一般的によく言われる「集中力」「思考力」などにつながるのだと思います。
でも、将棋を単なる学習ツールとして利用してほしくない
昨今の将棋ブームもあり、子どもに将棋を勉強させたいという親御さんは多いと思います。(僕も父親なので、そういった気持ちは本当によくわかります……)
たくさんの能力が子どもに身につくのは確かですが、子どもが将棋を指す目的は、そういった副次的な能力を身につけるためなのでしょうか。
「勉強や今後の人生に役立つから、将棋を頑張るね!」
そんな子どもはいないと思います。
将棋を指す理由は「将棋が面白いから」。
これだけでいいじゃないか、と思います。
僕は今まで200人ほどの子どもに教えてきましたが、必ず自分が楽しそうに教えて、将棋の楽しさを伝えるのを第一にしています。
「楽しみながら最善を尽くそう、自分の将棋をよりよいものにしよう」と考えるからこそ、目の前の対局に集中し、しっかり思考できるのです。
僕は、これからも「誰よりも楽しむ講師」を目指していきます!
棋書の紹介
将棋や人生への向き合い方に関して、羽生先生の著書「決断力」「直感力」がおススメです。
月並みな表現で恐縮ですが、羽生先生の温かい人柄を感じ取ることができました。